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東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)107号 判決 1986年7月10日

原告

甲野太郎

被告

東京都豊島区西福祉事務所長

原喜代次

右指定代理人

竹村英雄

秋山松寿

小川賢一

田辺威

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和五五年一二月二日付け、昭和五六年四月三〇日付け及び昭和五七年六月二八日付けでした各生活保護開始処分並びに昭和五八年三月七日付けでした生活保護変更処分がいずれも無効であることを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

(本案前の答弁)

1 本件訴えをいずれも却下する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(本案の答弁)

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は原告に対し、次のような生活保護開始(変更)処分をした。

(一) 昭和五五年一二月二日付け開始決定(以下「昭和五五年開始処分」という。)

(1) 生活扶助(月額) 四万七〇八〇円

(2) 住宅扶助(月額) 一万五〇〇〇円

(3) 医療扶助 現物給付

(二) 昭和五六年四月三〇日付け開始決定(以下「昭和五六年開始処分」という。)

(1) 生活扶助(月額) 五万一八一〇円

(2) 住宅扶助(月額) 一万五〇〇〇円

(3) 医療扶助 現物給付

(三) 昭和五七年六月二八日付け開始決定(以下「昭和五七年開始処分」という。)

(1) 生活扶助(月額) 五万五〇五〇円

(2) 住宅扶助(月額) 一万六〇〇〇円

(3) 医療扶助 現物給付

(四) 昭和五八年三月七日付け変更決定(以下「昭和五八年変更処分」という。)

(1) 生活扶助(月額) 五万七一二〇円

(2) 住宅扶助(月額) 一万六〇〇〇円

(3) 医療扶助 現物給付

2  本件各処分の無効事由

(一) 生活扶助に関し生活保護基準額が著しく低額であること

生活扶助の月額から通院費、就職に必要な交通費、保健衛生費、衣類及び寝具、家具什器類、履物等の必要経費を差し引くと、当該生活扶助の支給日から五日間で支給額全額がなくなつてしまい、残りは借金生活を強いられ、毎日が食うや食わずの生活状態であつた。

これは、すなわち原告の生活条件を無視し、衣食その他日常生活の需要を満たすために必要な経費を認定しない著しく低額な生活保護基準を厚生大臣が設定していることによるもので、右基準は、憲法二五条並びに生活保護法二条、三条、八条二項、九条、一一条に違反する違憲・違法なものである。

したがつて、このような基準に基づきなされた原告に対する各生活保護開始(変更)処分は無効である。

(二) 医療扶助のうち移送費(通院費)の不支給(昭和五五年及び昭和五六年開始処分並びに昭和五八年変更処分関係)

(1) 原告は、昭和五五年一二月から昭和五六年一〇月までの間、計三六回聖母病院に都営バスを利用して通院した。この費用は池袋西口駅から聖母病院駅まで片道一三〇円(往復二六〇円)合計九三六〇円である。

(2) 原告は、昭和五九年以降計二四回飯沼病院に東武東上線を利用して通院した。この費用は北池袋駅から常盤台駅まで片道九〇円(往復一八〇円)合計四三二〇円である。

(3) しかし、右各通院費は支給されなかつた。

(三) 生業扶助のうち就職支度費の不支給(昭和五五年開始処分関係)

原告は、昭和五六年一月に株式会社トーシンに入社した。これに伴い就職支度金として保護基準により金二万円が支給されるべきところ、原告は、そのころ豊島区西福祉事務所に右申請をしたが、右就職支度金は支給されなかつた。

(四) 生活扶助のうち移送費の不支給(昭和五七年開始処分関係)

原告は、左記訴訟事件の原告本人尋問に出頭するために、昭和五七年七月九日松山地方裁判所八幡浜支部に出向いた。これに伴い移送費が支給されるべきところ、原告は、そのころ豊島区西福祉事務所に右申請をしたが、右移送費は支給されなかつた。

(1) 事件名

松山地方裁判所八幡浜支部昭和五六年(ワ)第四八号建物保存登記抹消登記手続請求事件

(2) 当事者

右事件原告は原告、同事件被告は乙山久

(3) 事案

右事件の係争建物は、愛媛県八幡浜市に所在し、元原告所有名義であつたが、原告の祖父、原告の弟を経由して乙山久に所有名義が移転したので、同名義の抹消を求める事件である。

3  よつて、本件各処分が無効であることの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の各事実は認める。

2(一)  同2(一)は争う。

生活保護法は、憲法二五条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とするとしたうえ(一条)、その保護は、厚生大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基として、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うものとするとし(八条一項)、右の基準は、要保護者の年令別、性別、世帯構成別、所在地別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならない(八条二項)と規定している。

右のような生活保護法の規定から明らかなように、保護基準は通常人がその年令別、性別、世帯構成等に応じて最低限度の生活を維持していくうえでの最低限度の需要を充足するための基準なのであり、現に厚生大臣によつて定められている基準もこのような同法の趣旨に基づくものである。したがつて、かりに保護基準が原告個人の生活の需要を満たさないことがあるからといつて違法だということはできない。

(二)  同2(二)は争う。

医療扶助における移送費(同法一五条六号)には、通院のための費用も含まれるが、これは要保護者の申請に基づいて必要性を判断し、はじめて支給されるものである(同法七条)。しかし、本件においては原告からの申請がなかつたため支給されなかつたものである。

なお、かりに原告から申請があつたとしても、移送費は歩行不能又は歩行が著しく困難な場合に限つて支給されるものであるから、原告のような場合には支給されることはない。

(三)  同2(三)は争う。

原告主張の就職支度金は、原告から申請がなかつたため支給されなかつたものである。

就職支度金は、要保護者が長い療養生活の後に就職する場合のように、その有する履物・衣類等によつては就職することが困難である場合(同法八条一項)に支給されるものであり、要保護者の実態を調査して支給決定されるものであるから、要保護者の申請がなければ支給されることはないし、申請があつたからといつて必ず支給されるものでもない。

(四)  同2(四)は争う。

原告主張の訴訟に出頭するための移送費についても原告から申請がなされた事実はない。

もつとも昭和五八年二月ころ原告から福祉事務所の担当職員に対して、八幡浜の裁判所に出頭するための旅費について相談があつたため、担当職員が生活扶助中の移送費(同法一二条二号)としては認められない旨の回答をしたことはあるが、これは昭和三八年四月一日付厚生省社会局長通達における取扱いではそのようになつていることを説明したものにすぎず、正式の申請があつたためのものではない。

三  被告の本案前の主張

本件訴えは、次のとおりいずれも訴えの利益を欠いており、不適法である。

1  昭和五五年開始処分及び昭和五六年開始処分は保護が廃止されていて、法律上の効果を有していないこと

(一) 被告は、昭和五六年二月一二日、昭和五五年開始処分に係る原告に対する生活保護を同年三月一日から廃止することとし、その旨原告に通知した。

(二) 被告は、昭和五六年一〇月五日、昭和五六年開始処分に係る原告に対する生活保護を同年一一月一日から廃止することとし、その旨原告に通知した。

(三) 右のとおり、右各処分は、保護が廃止されて存在せず、法律上の効果は消滅している。したがつて、右各処分の無効確認を求める法律上の利益はない。

(四) なお、その後昭和五七年開始処分及び昭和五八年変更処分が継続しているのであるから、原告は、何らの回復すべき権利、利益を有しないというべきである。

2  本件各処分は、いずれも受益処分であつて、原告に何らの不利益を与えていないこと

(一) 生活保護は、生活保護法八条一項により厚生大臣の定める基準に基づいて行われるべきであり、かつ、それをもつて足りるのであるから、要保護者は、右保護基準を超える保護を求めることはできない。

(二) 本件各処分は、原告の申請に基づき開始された申請のとおりの受益処分であつて、厚生大臣の定めた保護基準に基づいて認定されている。すなわち、生活扶助は右保護基準の最高限度額、住宅扶助は特別基準により家賃の全額、医療扶助は現物給付がそれぞれ認められているのである。

(三) よつて、原告は、本件各処分によつて認められた保護費以上のものを右保護基準によつて認められることはない。したがつて、原告は、本件各処分によつて何らの不利益を受けていないのであるから、本件各処分の無効確認を求める法律上の利益を有しない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の各事実(本件各処分の存在)は、当事者間に争いがない。

二被告の本案前の主張について

1  昭和五五年開始処分については保護が廃止されていて、法律上の効果を有していないとの主張について

昭和五五年開始処分及び昭和五六年開始処分が廃止されていることについて、原告は、明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。ところで、原告は、本訴において、右各処分の無効を確認することにより、その生活保護が実施されていた期間に受けることができなかつた不利益の救済を求めているものである。そこで考えるに、生活保護を受けることができた権利が一部実施されずに時が経過したとしても、それによつて当然に要保護者の未実施分の生活保護給付請求権が消滅するものとは解されず、このことは、当該生活保護の実施が廃止により終了した後であつても同様であると解される。したがつて、原告が生活保護実施期間について右各処分を超える生活保護の給付を請求する前提として、右各処分の無効の確認を求める本訴は、訴えの利益を有するものということができる。

2  本件各処分が原告に対し、何らの不利益を与えていないとの主張について

被告は、本件各処分は厚生大臣の定めた保護基準に基づいてなされた受益処分であり、原告が本件各処分を超える保護を受けることはできないものであるから、原告は何ら不利益を被つていないと主張する。しかしながら、原告が本件各処分を超える保護を受けることができるかどうかは、本訴における本案の問題というべきであり、本件各処分を超える保護を受けるため右各処分の取消しを求める本訴について、原告が訴えの利益を有することは明らかである。

三原告の主張する本件各処分の無効事由について

1  生活扶助に関し生活保護基準が著しく低額であることについて

<証拠>によれば、原告が本件各処分当時、稼働収入及び年金収入もなければ、預金及び手持金もなく、単身の男性で東京都豊島区内に居住していたこと並びに年齢は昭和五五年開始処分当時に四一歳であつたこと、本件各処分の生活扶助の金額は、厚生大臣の定めた「生活保護法による保護の基準(以下「保護基準」という。)」に従つて決定されたものであることが認められる。

そこで、原告は、生活扶助に関する右保護基準が著しく低額であつて、本件各処分が無効であると主張するので検討する。

憲法二五条一項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定しているが、その趣旨は、国に対してすべての国民が健康で文化的な生活を営み得るような施策を講ずべきことをその責務として課したものにとどまり、個々の国民の国に対する具体的な権利は、右憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて発生するものと解すべきところ、生活保護法によれば、同法によつて保障される最低限度の生活とは、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない(三条)が、その保障の内容は、要保護者の個人又は世帯の実際の必要の相違を考慮して、有効且つ適切に行うものであり(九条)、その保護は、厚生大臣の設定する基準に基づいて行うものとし(八条一項)、その基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、かつ、これをこえないものでなければならない(八条二項)とされているところである。右の各規定の趣旨に照らすと、厚生大臣が設定する保護基準は、健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するに足りるものでなければならないのはいうまでもないが、右保護基準の設定は、健康で文化的な最低限度の生活水準という抽象的、相対的な概念と多数の不確定的要素にかかわるものであるから、一応厚生大臣の合目的的裁量に委ねられており、それが違法であるといえるためには、右裁量の限界を逸脱し又は裁量の権限を濫用したと認められることを要するものと解すべきである。

そこで本件についてこれをみるに、原告の主張するところだけでは、保護基準の設定に当たり、厚生大臣がその裁量を逸脱ないし濫用したものと認め難いことは明らかであり、またその旨の立証もない。のみならず、<証拠>によれば、生活保護決定によつて被保護者は、地方税関係、年金関係、水道関係、衛生関係、交通関係その他について経済的特典を受けることができるようになつていることが認められること、<証拠>によれば、住居費としての住宅扶助については、本件各処分当時の原告の家賃がいずれの時点においても全額が原告に支給されていることが認められること、前記のとおり医療費については現物給付がなされていることといつた事情に、先に認定した本件各処分当時の原告の年齢、性別、家族構成、居住地域等に関する諸事実を合せ考えると、原告に対する生活扶助の額は原告が最低限度の生活を営むに足りるものであると一応考えられるのであつて、到底憲法及び生活保護法の趣旨に反するものとは認められないというべきである。

2  請求原因2の(二)ないし(四)の無効事由の主張について

原告は、医療扶助における移送費(通院費)、生業扶助における就職支度金、生活扶助における移送費が支給されなかつたことをもつて、当該年分にかかる本件各処分が無効であると主張している。

ところで、生活保護法七条、二四条によれば、保護の開始及び変更は、原則として要保護者等の申請に基づいてなされることになつており、同法施行規則二条には、右申請は一定の事項を記載した書面によるべき旨規定されているところ、原告の主張する各保護の事由はいずれも原則として右規則に基づく申請を要するものであると解される。しかし、原告がこれらの保護を求めるにつき所定の申請を被告に対してしたことを認めるに足りる証拠はなく、かえつて<証拠>によれば、原告は右申請をしたことがないことが認められる。しかして、原告が同法七条但書にいう「急迫した状況」にあつたことを認めるに足りる証拠もないから、右の申請なしに右各保護を実施しなければならないとはいえない。

したがつて、原告の主張する各保護が実施されなかつたとしても、これを違法ということはできず、その余の点について判断するまでもなく、原告の右各主張事実は本件各処分の無効を招くものではない。

四以上のとおり、原告の本訴請求はいずれも理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官鈴木康之 裁判官太田幸夫 裁判官塚本伊平)

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